プレイレポート/沼田家攻略

プレイ大名 沼田家
難易度 上級
シナリオ 厳島の戦い
著者名 Yシロウ
完結 クリア
歴史イベント×、戦国伝×、登録武将×、寿命史実、討死○、架空姫○、会戦○
このプレイレポートは、Ver1.0.3におけるゲームプレイを元に書かれております。

このシナリオ最難関の一つと考えられる沼田家でプレイします。
イベント無しにすることで、甲相駿三国同盟がほぼ不滅となり、より高い難易度で遊ぶことができます。


沼田家の置かれている状況
1.国力
本城0 支城1 人口8567 石高376 兵数1402

沼田城があるのは、武田家、北条家、長尾家の勢力が交錯する上野であり、最悪の立地です。沼田城は維持困難なので早々に捨て城とし、小田城攻略後に状況を打開します。


2.武将
開幕直後の武将数は4人です。沼田祐光が優秀なのに加え、沼田顕泰は成長すると利殖達人や外交術を覚えます。

沼田顕泰   統率45 武勇47 知略51 政治59  戦法 攪乱
沼田祐光   統率67 武勇53 知略83 政治76  戦法 気勢崩し


3.外交
友好的な大名家は存在せず、他大名家からの信用は全て0からスタートします。


4.諸勢力
ゲーム中盤を少しでも楽に進めるために、佐竹家、結城家、宇都宮家を支持する諸勢力が多数存在する状態でスタートします。また、序盤は兵の不足を補うために、財政が許す範囲で山上衆に懐柔を行います。

敵国の諸勢力については、プレイング的に可能な限り、敵諸勢力が参戦する前に敵国部隊と会戦に持ち込むことで無力化します。


5.会戦
可能な限り、ほとんど全ての戦いで会戦を行います。ゲーム内の時間進行を大幅に短縮し、兵の消耗を避けるためにも、会戦は必須です。


7.イベント
イベント無しなので、甲相駿三国同盟はほぼ不滅です。


沼田家の方針
開幕すぐに結城家に従属し、小田家に攻め込みます。
兵が結城城を通過したら従属を破棄し、北条家に従属します。

その後、関東の半分を切り取ってから北条家を滅ぼします。次に、武田家、今川家を滅ぼして天下を統一します。

クリアを目指すには、武田家に当家以外の攻撃対象が多く残っているうちに、関東の半分を押さえる必要があります。関東の半分を押さえ、北条家が従属を破棄してきたら、いよいよ北条・武田連合軍と雌雄を決します。

甲相駿三国同盟は非常に堅牢ですが、全く崩すことが不可能ではありません。武田義信、北条氏政、今川氏真のいずれかを討つことにより、イベントに頼らずとも同盟を崩すことができます。


近隣の大名家
1.北条家
関東最強の大名です。序盤はこの北条家に従属しながら、佐竹家と長尾家の攻撃を凌ぎます。従属国との国力差が埋まりきる前に従属を破棄してくるので注意が必要です。倒すのに時間をかけすぎると、固有の政策が解禁され国力に差をつけられるので、その前に打倒します。

2.武田家
開幕直後から最大の宿敵として立ちふさがります。上野を積極的に狙うだけでなく、岩付城を落として関東に進出しようとしたり、唐沢山城を攻撃したりするので、動きには注意する必要があります。北条家との決戦に踏み切る時も、武田家が加勢してくることを想定した上で行う必要があります。

3.長尾家
開幕後、すぐに沼田城を攻撃してきます。しかし、調子がいいのは序盤だけで、武田家に徐々に押されはじめます。奥羽に勢力を拡大し、伊達家や蘆名家と結んだり戦ったりしながら衰退していきます。

4.佐竹家
武田家、北条家に次ぐ強敵です。開幕直後は小田家、那須家と同盟を結んでいます。序盤から小田城を執拗に狙っており、何度敗れてもしつこく出兵してきます。北条家に援軍を頼み、北条家の力を削ぐのに利用すると効果的です。

5.結城家
開幕と同時に従属を申し込む相手です。領内を通過させてもらったら、すぐに滅ぼします。

北条家と同盟を結んでいますが、プレーヤーが攻め込んだ時のみ、北条領を飛び越えて武田家に援軍要請する可能性があるので、攻める際は武田家の動きにも注意が必要な相手です。

6.宇都宮家
佐竹家に一方的に攻め込まれる展開が多いです。結城家には宇都宮家の方から積極的に攻め込む動きが見られます。

7.小田家
最初の標的です。小田城は耐久力が低いわりに規模はそこそこなので、序盤の重要な戦力になります。
佐竹家と同盟関係にあります。

8.佐野家
北条家に従属しています。武将は一人で兵も少なく、他大名を攻めることもありません。しかし、唐沢山城の耐久は4000もあり、並みの本城よりも硬いです。

9.太田家
兵は少ないながらも、長野家の援軍として上野に出兵する動きが見られます。岩付城は耐久が3000もあり、かなり硬いです。太田資正がかなり優秀で、息子の太田氏資は臨戦を持っています。

北条家と同盟を結んではいますが、序盤から武田家の攻撃対象となります。それにも関わらず、プレーヤーに攻め込まれた時のみ武田家に援軍を頼む可能性がある不思議な大名です。攻略は、武田家が太田家を攻めた直後に行うと効率的です。

10.那須家
蘆名家の攻撃対象になりやすい大名です。徐々に衰退していきます。

11.蘆名家
二階堂家や那須家を滅ぼして勢力を拡大しますが、伊達家と長尾家の攻撃対象になりやすいため、徐々に衰退していきます。武将の数が多く、質も良いので、可能なら最後の1城は当家が確保するようにします。

12.長野家
隣の大名ですが絡むことはほぼありません。開幕すぐに、武田家か北条家に滅ぼされます。


遠国の大名家
1. 今川家
イベント無しだと、畿内を制して西国にどんどん勢力を拡大していきます。同盟などで時を稼ぎ、北条家と武田家を滅ぼした後に相手にするようにします。

2. 伊達家
徐々に隣国を切り取って勢力を拡大しますが、武田家と隣接して以後は、越後から侵入する武田家に押され始めます。支配する本城数が当家より多い場合、外交姿勢が軽侮となるようで、付き合いづらい相手です。


プレイ開始前にすべきこと
関東最強である北条家との国力差を早期に埋めるために、佐竹家、結城家、宇都宮家を支持する諸勢力が多数存在する状態になるまで、リセット→再スタートします。


プレイ開始
1.1555年10月~1556年8月
・小田家攻略
開幕すぐに、結城領を通過するために結城家に従属を申し込みます。その後、小田城を攻略する部隊を2隊に分けて出撃し、小田家を滅ぼします。
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・関宿城攻略
結城領を部隊が通過した直後に、結城家への従属を破棄します。その後、小田城を攻略した部隊を関宿城に向かわせ、関宿城外で結城家の主力と決戦しました。

当家は寡兵ですが、会戦によって可能な限り最小の損害で撃破した後、関宿城を力攻めで落としました。


・佐竹家、小田城を攻める
関宿城の包囲を完了直前の4月に、佐竹家の部隊(約4300)が攻めてきました。関宿城を攻略した部隊と関宿城から出た部隊(約1200)を小田城の救援に差し向け、斉射→会戦キャンセルを続けて殲滅しました。


・北条家への従属
結城家への従属を破棄直後に、北条家に従属を申し入れます。すぐに長尾家が沼田城を攻めて来るので、北条家に援軍要請して守ってもらいます。また、要請期間が終了したら、小田城にも援軍を要請し、佐竹家に再度攻められても良いように対策しておきます。



2.1556年9月~1557年4月
・古河御所の攻略
結城家の祇園城を宇都宮家が攻撃しだしました。結城家の部隊は祇園城に向かったため、手薄となった古河御所に部隊を派遣しました。
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古河御所を当家の部隊が包囲すると、祇園城の防衛にあたっていた部隊が祇園城を放棄し、古河御所の救援に向かってきました。しかし、祇園城を攻める宇都宮家の部隊も消耗しており撤退したため、祇園城は結城家が守りきる結果となりました。

古河城と祇園城の攻防で兵のほとんどを失った結城家は、上野を平定した武田家に援軍を要請しました。これにより、武田家の援軍(約2600)が2隊に分かれて向かってきました。

武田軍が到着する前に古河御所を力攻めで落としましたが、古河御所陥落後も武田軍は引き返さず、古河御所を目指して進軍してきました。


・小田城攻防戦
制圧したばかりの古河御所に武田軍が迫る中、佐竹家も手薄な小田城を再度攻撃してきました。北条家への援軍要請が切れる直前であり、当家だけでは古河御所と小田城を同時に守れないため、小田城は一時的に放棄しました。

古河御所の部隊を進出させて武田軍を破った後、部隊(約1200)を小田城に向かわせ、小田城に集結した佐竹家の主力(約5300)を殲滅して小田城を奪回しました。



3.1557年5月~1558年1月
・結城家滅亡
兵力をやや回復した後、9月に結城家の祇園城に攻め込んで、結城家を滅ぼしました。このタイミングで、またもや佐竹家が小田城を攻撃してきたため、北条家に援軍要請して撃退してもらいました。
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・太田家攻略
当家が祇園城を包囲中に、武田家が太田家の岩付城を攻撃しだしました。

岩付城を取られると武田家と隣接することになるため、祇園城を落とした部隊をすぐに向かわせ、岩付城を攻撃している武田軍を殲滅した後、岩付城にトドメをさして太田家を滅ぼしました。



4.1558年2月~1558年8月
・兵と兵糧の確保
複数の大名家との連戦で兵力も兵糧も消耗しきったため、内政を行いながら回復を待ちました。



5.1558年9月~1559年3月
・佐野家攻略
佐野家の唐沢山城に攻め込みました。城の耐久力が高いため、包囲で落としました。


・宇都宮家攻略
唐沢山城を落とした部隊を転戦させ壬生城を落としました。続いて宇都宮城に向かわせたところ、宇都宮家は佐竹家に援軍要請したため、太田城から佐竹家の援軍がやってきました。

佐竹家の援軍を撃破して宇都宮家を滅ぼした後、さらに、佐竹家に占領されていた真岡城に部隊を派遣して攻略しました。



6.1559年4月~1560年1月
・烏山城攻略
真岡城を落とした直後、今度は蘆名家が占領している烏山城を攻略します。

蘆名家は、会津新宮城と猪苗代城を長尾家に占領されている上に、伊達家の攻撃を受けており、二本松城と三春城の防衛に兵を使い切ってしまいました。この後、伊達家によって須賀川城、塩生城、黒川城を落とされてしまいます。

蘆名家と長尾家は同盟を結んでいますが、長尾家は越後に侵入する武田軍に対応するのに手一杯で、蘆名家の助けにはなりません。


・石塚城、石岡城の攻略
佐竹家を完全に滅ぼすと、北条家が従属同盟を破棄して攻撃してきます。そこで、太田城以外の佐竹家の城を落としたら、当家の国力が多少伸びるまで内政を行います。


・蘆名家の最後の1城
蘆名家は伊達家によって追い詰められました。1559年12月には黒川城も落とされ、最後に残った大田原城も伊達家の部隊によって攻撃されています。当家も部隊を派遣し、伊達家の部隊を撃破して蘆名家にトドメをさします。

蘆名家の武将の中で、穴沢俊光と蘆名盛氏はかなり優秀なので、それぞれ城主に任命して成長を加速させます。



7.1560年2月~1561年4月
・内政の充実
連戦で消耗した兵と兵糧を回復します。太田城攻略直後に北条家が従属同盟を破棄してくるので、一気に北条家を攻め滅ぼせるだけの兵数と兵糧の確保に努めます。
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1561年1月になると、最上家滅亡で浪人した最上義守が流れて来たので登用しました。これにより、4月に元服する最上義光を確保することができ、北条家との間にあった武将性能の差が一気にひっくり返りました。



8.1561年5月~1563年4月
・佐竹家滅亡
5月になり、北条家とギリギリ決戦可能な程度まで国力を養ったので、佐竹家にトドメをさし、北条家との決戦に踏み切ります。

この時、内政にあまり時間をかけすぎると、武田家が周囲の勢力をほとんど倒し尽くしてしまい、主な攻撃対象が当家のみになってしまいます。そうなると、北条家だけでなく武田家の主力も同時に相手にせねばならず、より苦しい状況に追い込まれます。


・北条家との決戦① 上総・下総攻略
太田城を落としたら、次のターンに北条家から破棄の使者が来ます。その前に、北条家の森山城と本佐倉城に部隊を向かわせておき、従属を破棄され次第包囲して落とします。

この時、甲相駿三国同盟のキーマンの一人である北条氏政を捕らえました。房総攻略部隊が城へ帰還次第処断して、武田家と北条家の関係を崩します。

その後、部隊を久留里城に向かわせます。海を渡って武蔵や相模から北条家の援軍がくるので、それらを撃破しながら久留里城と万喜城を落とします。また、房総へ援軍を出して手薄となった国府台城へも、別働隊を向かわせ落とします。


・唐沢山城の戦い
当家が北条家の主力を撃破するまで、武田家に攻められないように時間を稼ぎます。10等級の家宝しかありませんが、とりあえず贈って機嫌をとりました。

その後、時間が経って武田家の外交姿勢が信頼から普通に変化した直後に、北条家からの援軍要請によって武田家は唐沢山城に大部隊(約20000)を派遣してきたため、当家との関係は断絶してしまいました。

武田家は、向かってくる部隊全てが、新田金山~唐沢山間の一本道を通って唐沢山城に向かってきたので、唐沢山城に到着したところを順次挟撃して殲滅しました。


・古河御所、岩付城の戦い
当家の兵はほとんどが房総攻略か唐沢山城へ出撃しているため、まとまった兵がいません。そのため、手薄になっている古河御所と岩付城にも、武田家の部隊が攻めてきました。

古河御所は約2000の兵しか攻めて来なかったため、すぐに撃退できましたが、岩付城へは約9300の兵が向かって来たため、房総攻略に参加していない兵をほとんど迎撃に参加させることとなり、兵力、兵糧共に消耗しきってしまいました。



9.1563年5月~1563年6月
・甲相駿三国同盟崩壊
武田家を撃退後、兵糧がほとんど尽きてしまったので、房総へ出撃していた部隊も帰還させて、兵力の回復に専念しました。この時、捕虜にしていた北条氏政を処断し、武田家と北条家との関係を破綻させました。

北条氏政の処断により、当家の城を目指して北条領を通過中の武田軍と北条軍が交戦状態になりました。しかし、次のターンにはすぐに6ヶ月の同盟を結び直し、以後、武田家と北条家は、同盟期間が終了するたびに6ヶ月の同盟を結び直すようになりました。

一見すると、甲相駿三国同盟の頃と状況が一緒に見えますが、決定的に違うのは一度に結ばれる同盟期間が短い点です。これにより、武田家が北条領を飛び越えて当家を攻めようとする積極性を失ったのは非常に大きな違いです。


・武田家との同盟締結
武田家が積極的に攻めてこなくなったので、外交可能になり次第外交工作を開始しました。信用が貯まり次第24ヶ月の同盟を結び、北条家の攻略に集中できるようにします。



10.1563年7月~1564年3月
・北条家滅亡
収穫の季節が近づいたので、残った兵糧で部隊を派遣し武蔵を平定しました。その後、安房、相模、伊豆にも部隊を向かわせ、翌年2月には北条家を滅ぼしました。
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・今川家との姻戚同盟締結
今川家に外広工作を行い、姻戚同盟を締結しました。武田家とは、同盟期間が終了次第決戦する流れになるので、当家が武田家を倒し、東日本を平定するまでの間、今川家とは衝突しないようにします。



11.1564年4月~1565年6月
・伊達家滅亡
西から武田家、北から南部家に攻められ、磐城に追い詰められた伊達家を当家が滅ぼし、伊達家の武将を確保します。



12.1565年7月~1566年9月
・武田家と決戦① 甲信越攻略
武田家から、同盟期間終了半年前に、南部家の寺池城攻略のための援軍要請がありました。武田家との決戦には兵糧が若干足りないため、収穫の季節までの時間稼ぎに、援軍を承諾しました。その後、停戦期間が終了する前に、上野、甲斐、信濃、飛騨の諸城に部隊を配置しておき、停戦期間の終了と共に一斉に切り取りました。さらに部隊を北上させ、越中、越後、能登も平定しました。



13.1566年10月~1569年2月
・武田家と決戦② 奥羽平定
甲信越を平定したら、奥羽に残る武田の城も落としていき、武田家を滅ぼします。武田家は、利府~山形のラインから北に広がる南部領を北上して攻撃し続けたため、当家と南部家に二正面作戦を展開している状態となりました。

磐城で当家と戦いながら陸中と羽後まで進出する奮戦ぶりでしたが、無理な二正面作戦が通用するはずもなく、敗退を続け、九戸城で滅亡することとなりました。


・南部家滅亡
武田家を滅ぼした部隊をさらに北上させ、南部家を滅ぼしました。



14.1569年3月~1569年8月
・内政の充実
奥羽平定後、今川家が姻戚同盟を破棄してくる直前まで内政を行い、兵力と兵糧を十分に養いました。



15.1569年9月~1570年6月
・今川家と決戦① 濃尾以東攻略
今川家は、西国を平定した次の月に姻戚同盟を破棄してきます。そのため、九州の端で島津家が滅亡寸前になったら、濃尾にある今川家の諸城に部隊を向かわせ、同盟を破棄された直後に一斉に切り取ります。

大垣城周辺では、畿内から来る今川家の援軍を迎撃し、この間に駿府、遠江、三河、尾張、美濃を平定しました。その後、大垣城の攻防へ加わる部隊と、伊勢に侵攻する部隊に別れて部隊を西進させました。



16.1570年7月~1573年10月
・今川家と決戦② 御所攻略
このあたりで飽きたので、本拠地を蝦夷に移転してCPUに完全委任しました。

今川家は畿内の部隊を大垣城の攻略にほとんど使っていたため、委任状態でも越前、近江、山城を攻略できたので、惣無事令を行ってゲームを終了しました。


感想
中盤までを凌ぐのがとにかく大変でした。こまめにセーブし、詰んではロードの繰り返し。勝ち筋を探し疲れたので、モチベーション保つのに、銀英伝観ながらプレイしました(´・ω・`)

プレイした感じでは、このシナリオの沼田家と佐野家は難易度がほぼ同じくらいだと感じました。
開幕直後から立地の大転換が必要な沼田家と、武将一人でも立地でやや恵まれた佐野家。ゲーム展開もほぼ一緒だし、どちらかがシナリオ最難関だと思います。

切れることのない甲相駿三国同盟ってすごいですね。太原雪斎はかなり好きな武将ですが、戦略級の神算鬼謀を楽しませてもらいました。

実際、桶狭間で義元が死ななければ今川最強だったと思うんで、AIは納得のいくゲーム展開をしてくれたと思います。

また、終盤以外は常に劣勢なのに、詭計百出を駆使して頑張る最上義光は素敵でしたね。まさにミラクル義光と言える奮戦ぶりでした。イゼルローン攻略を観賞しながら、北条家の名将相手に「詭計百出!」ってやるのは面白かったです(笑)

今作は、作り込みの足りない部分がやや目立ちますが、「会戦は兵数多い方が優位」とか、「咎める力のある奴がいなければ、騙し討ち最強」とか、所々「リアルだな…」って感じさせられる部分もあります。PKで完成度が増すことを期待します。



  • 最終更新:2014-04-23 18:07:59

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